<仙台を訪ねて・「dogwood支援のお願い」 平成23年12月
 東日本大震災から8ヶ月を過ぎました。初めて被災地である宮城を訪れました。
 飛行機が仙台空港に着陸する前、窓からは、海岸線と静かに深緑色の広大な太平洋が、どこまでも続いていました。仙台空港は、あの3月11日1300人以上の方が避難した場所です。あの日の爪痕は、空港内では、見られませんでした。
 空港にただ1台止まっていたタクシ―に乗ってまず向かったのは、空港から約1キロ離れた、海岸から約450メートルほどの特別養護老人ホーム「マリンホーム赤井江荘」跡を訪れました。道路は、なんとか車は通れるもののガタガタと上下に揺れて車は進んでいきました。老人ホームは、無残な姿のまま、がれきもそのままの状態でした。玄関ホールの高さ5メートルほどの天井のシャンデリアにセーターがかかっていました。外には、ホームのネームの入った車が、ボディがひしゃげた状態で残っていました。
このホームは、入居者、スタッフとも全員、津波が来る前に空港に避難して無事で済んだということです。


<写真1 老人ホーム跡・・・手前は木にひっかかったままのシーツ。
 2011年11月29日撮影>

 リーダーの決断力の奇跡だと思います。一瞬の決断が生死を分けたのだと思います。
この特養は平屋建てだったので、避難を決断できたのかもしれません。2階、3階建ての施設だったら判断は違っていたかもしれませんし、そうなると結果は、悲劇だったかもしれません。ものすごい自然のパワーを感じます。大木が根こそぎ倒れていました。
 次に、海岸線を仙台市に向かって車を走らせ、閑上地区に向かいました。途中田んぼに十数人の集団がいて田んぼの中のがれきの屑を拾っているようでした。タクシーの運転手のSさんのお話しでは、ずいぶんボランティアさんは来てくれたけどこの頃はずいぶん減っているようだ。神戸からは本当に多くのボランティアさんが来てくれた。」と話してくれました。道端には、まだ流された船が何艘か放置されていました。
閑上地区は、町が消えてしまっていました。お寺の本堂を除いて何もかも無くなってしまっていました。お寺の住職さんも亡くなられたそうです。市の依頼を受けたシャベルカーが、無残に横倒しになった墓石の撤去を行っていました。実は、タクシ―の運転手のSさんも数年前までこの閑上地区に住んでいらして、自分の生家跡にも寄ってくださいました。「何にも残ってない」とポツリと言われました。この地区の生き残った方々は、仮設住宅や借り上げ賃貸住宅に分散して暮らしているとのことでした。漁協も跡かたも無くなっていました。漁師の方の中には、現在は、がれき処理の仕事で生計をたててらっしゃる人が多いとのことでした。


<写真2 閑上地区・・・何もかも無くなっていました。2011年11月29日撮影>

少し離れた地区の小学校、中学校も閉鎖されたままでした。何もない地区を見ると砂漠の中にいるような錯覚を覚えました。Sさんが「もうこの地区には住めないらしいよ」と教えてくれました。故郷を失ってしまった人たちが大勢いるのです。
 仙台市の郊外に被災地で飼い主が見つからない、飼い主と今は一緒に暮らせないわんちゃん、猫ちゃんの避難所を運営している「dogwood」を訪問しました。NPOでもない会社組織でこのような支援を決断し、実行しているリーダーの我妻さんはじめスタッフ、ボランティアの方々には、本当に共感を覚えました。弊社には、現在5人(匹)のわんちゃん社員がいますが、そのうち3匹は、いろいろな事情で弊社が引き取らせていただき、家族になったわんちゃんたちです。「dogwood」は、ドッグカフェや動物病院、ドッグラン、ブリーダーなどを事業としてやられている有限会社です。
 決して大会社ではない会社が、現在でも140匹以上のわんちゃん・猫ちゃんを預かり続けているのは、並大抵の努力ではありません。人間と違って犬猫など動物には1円も国や市町村からの支援はありません。「私たちに出来ることは何ですか」を我妻さんたちは、実践したのです。弊社のミッションにも通じます。ぜひみなさんも「dogwood 仙台」のHPを見てみてください。そして少しでも協力をお願いします。
 フィールドでボランティアさんと遊ぶわんちゃんたちの姿を見て安心しました。わんちゃんたちの顔は安心した顔でした。
 これからは、継続が大切だと思いました。一人でも多くの人に知ってもらうことが大切です。


<写真3 「dogwood」・・・フィールドでボランティアさんたちと一緒のワンちゃんたち。     2011年11月29日撮影>

 仙台市の中心部は、もう震災の跡を見つけることはできませんでした。東京や天神などと同じような雰囲気でした。これも日本の一面です。忘れないこと、自分のできることをし続けることが大切だと思いました。
 3.11を忘れない。まだ我々にできることは無限にあるのです。
「私たちに出来ることは何ですか?」

 タクシーのSさんに感謝します。別れ際に私がお渡ししたふくの干物のお土産を貰ってくれて「今日はこれを肴にします」と笑顔で言ってくれました。ほんの少し、心が楽になりました。

                     
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